飯能駅前は意外なひなまつりスポットだった!
ひなまつり。
女の子の厄を払い、健やかな成長と幸せな結婚を願うイベント。
厄払い…結婚…子供時代じゃなくて、今の私にこそ必要なやつでは(笑)
私の雛人形は、お人形じゃなくて、三角おにぎりに顔を書いたみたいな変なふたりで…いま思うとハマグリの貝合わせなんだけど、子供の頃は意味がわからなかった。友達の家にある立派な雛壇が羨ましかったなぁ。(クリスマスツリーでも前に同じようなこと書いてるなぁ。)
…そうか、人のお雛様ばかり羨ましがって、私のお雛様を可愛がらなかったのが、いまだに結婚してない原因か(笑)
縁起物だし、今からでも雛飾りを出そうかなぁ…実家に置いてきてるけど…
なんて、考えてたら。
その日の夜に突然。
たくさんの雛飾りが私の前に現れた!
別の目的でたまたま訪れた埼玉、飯能。
この街、すごいの!
駅前商店街のお店が、どこもかしこも立派な雛飾りをショーウィンドウに出してるの!!
夜になってお店閉めてもそこだけ明かりつけて飾ってるの!!
修理を重ねた明治の作品から、西陣織の着物でお姫様なお雛様まで。
ひなまつりを盛大に祝う地域なのかな?とも思ったけれど、どうやら街全体で雛飾りイベントを行っているためらしい。例年やっているスタンプラリーは今年は中止とのことだけど、ふらっと散歩してるだけで、たくさんのお雛様に会えました。満足!
こういうことがあるかな?って想像すると、曲がり角の先にそれが待っている。
ほんとこれ。現実は想像力でゆるく操作されている。お雛様が見たいと思ったら、たくさん現れたよ。
お雛様は本来、身代わり人形だから、ひとりにひとつ。姉妹でもそれぞれ持つべきだし、他人のお下がりも良くないと聞く。
けど。
私のために現れてくれた雛人形なのだから、私のものです。問題ない。
ひめぐらし的には、街のものはみんなのもので、みんなのものは私のもの。
皆のものというのは、市民全員にひとかけらずつ分配されるようなイメージではなくて、その瞬間瞬間、そこにいる人だけのものであるというイメージ。
本当はぜんぶ私のものだけど、私の見ていないときに、興味が向いていないときに、必要としていないときには、他の誰にでも貸してあげる。
って、皆がそれぞれ思っていれば良いのです。
独り占めしようという欲さえ持たければ、誰もが何でも手に入れられます。私の平和論。
今度は伊豆のつるし飾り雛も見てみたいなぁ。
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